光にとって、光は正義か。
光にとって、影は悪か。
翻って、影にとっては、どうか。
そんなに簡単じゃないだろ。
あたしにはあたしのリアルの中で見える正義、
あなたにはあなたのリアルの中で見える正義。
そんなものは人の数だけあって、きりがない。
「深い椅子の中から正義の味方が叫んでる
君のため 君のため 命さえも賭けるとわめいてる 」
17年ほど前に書いた「ジレンマ」という歌の一節。
何ひとつ失わない、何ひとつ痛まない、
責任もリスクもない場所から投げられる薄っぺらい正義が、
あたしは嫌いです。
便利な時代になって、言葉を伝えるということはとてもたやすい。
でも、言葉で伝えるということは、実はとても難しい。
言葉をなめてはいけない。
どうしても言えない「好き」をそっと文字に綴ることと、
面と向かって言えない「馬鹿野郎」を無記名でどっかに書き捨てることは、
全然、意味が、違います。
黙って行動することが、
幾千の言葉を凌駕して説得力を持つこともある。
悩み、考え抜いた言葉を積み重ねることで、
多くの人を振り向かせられることもある。
ツイッターを眺めていて時々思う。
あなたの言ってることは正しい。
でも、それじゃ伝わらないよ。
そこに、人を思う気持ちがあるか、
信念に対する謙虚なためらいや逡巡があるか、
誠実さはあるか、
思いやりはあるか。
言葉が伝えるのは、内容ではなくむしろ、
透けて見えるその人自身。
伝える、ということをなめてはいけない。
思い上がるべきじゃない。
言葉を使って仕事をする者のはしくれとして、
自戒を込めて。