ニャンニャンニャンの日。猫の写真がそこら中を飛び交っていた2月22日は父の命日だった。
亡くなったのは2017年なので、もう5年。
早いなあとあらためてびっくりしつつ。
日が暮れたらビール飲めるわけでもなく、好きな時に一服するわけにもいかないから、
入院は退屈だったろうな、もっとひんぱんにお見舞いに行けばよかったな、とか、いまでもふと思うけど、
いまだったらそれこそお見舞いにも行けなかったんだな。
お見舞いどころか、最後の看取りもできない、みたいな話を時々見かけるとほんとうに胸が痛い。
あの時は、母と妹夫婦と私とダンナと息子と、全員でベッドを囲んで、泣いたりしゃべったり名前を呼んだり手を握ったり足をさすったりわあわあ大騒ぎ。
延命措置(心臓マッサージとか)要りません!って言ったのに、枕元の心電図みたいなやつの曲線が弱々しくなると「た、大変だ!」とナースステーションに走ったり、テレビでしか見たことなかったけど死んだらホントに線がまっすぐになっちゃうんだ!とか感心したり、
亡くなったあと父の体を拭きに来てくれた若い看護師さんが、じいさんとはいえ大の男を見事な手さばきで起こしたり裏っ返したりして清めてくれるのを見て、職人だ。。。と感銘を受けたり、
とにかく最後まで見届けて、お別れを伝えて、へとへとで、淋しくて、でもホッとしてる気持ちもあって、
とりあえず遺体を病院に預けて、「おなかすいた」と帰り道みんなでファミレス行ってごはん食べたのでした。
しかも「お父さんのなんとかカードのポイントいっぱいあるよ!」というわけで、父のおごりで。
いろいろ思い出す。涙出るけど、なんか笑っちゃう。ああ、人間だなあ、って。
若い人が死んだらもちろんこんなに呑気ではいられないだろうけど、
2017年、こういうのはごく当たり前の、じじばばを送る光景だったと思う。
70年も80年も生きて、体のどこにもガタがきてない人なんてめったにいないと思うし、
そうやって衰えて、若い時にはなんでもなかったようなことが越えられなくなって命を落とす。
それはとても自然なこと。
死を見送ることは、その人が生きた時間を祝福すること。
尊くて厳しい、と書いて、尊厳。
命は尊い。でも、命が終わることも尊い。受け入れるのは厳しいけど、だからこそ尊い。
いまこういうふうに思えるのは、5年前普通に家族を見送ることができたからなのかな。
この2年でたくさんの当たり前が当たり前じゃなくなっちゃったので、なんだかよくわからない。
「うつったらあぶないから」
「うつしたら大変だから」
そうやって人と人が隔てられて、1を守るために100の制限を課せられるような世の中になって、子どもや若い子や元気な人ほど苦しんで、死ぬのも生きるのも不自然にゆがめられて、腹を立てることすらだんだん馬鹿らしくなって、仕方ないばっか言って、もはや何を守ってるのかもよくわからなくなってるのに上っ面だけいい人ぶって、
誰か幸せになったのか。なんかおかしくないか。
息子の高校卒業からまもなく1年。
あの時に考えてたこと、いまも全く同じこと考えてる。
あの時よりずっと激しく歯ぎしりしながら。
「彼らが動き回ることで、回り回ってウイルスを誰かにうつす「かも」しれず、
その中のリスクの高い誰かがもしかしたら死ぬ「かも」しれず、ということと、
彼らがこの1年で失ったものと。
この天秤はどちらに傾くのか。
ずっと考え続けている」
お父さんが生きてたら、なんて言っただろう?
父は、ひらたく言って「打つ手なし」の状態になった時、自分の意思でお医者さんの提案を断り、「なるべく死なないように生きる」ことを明確に拒否した。
自分がもしそういうことになったら、そんなふうに振る舞えるか、全然自信ないけど、
いわゆる「コロナ禍」の2年間、いろいろなことに私が強烈に違和感を感じ続けているのは、
その死に方(イコール生き方)にとても共感したからだ。
でも、この居心地の悪さこそが異質なのだとしたら、世界は、というか日本は向かうべき方へ向かっているのかもしれないとも思う。
思いやり、という言葉があちこちひらひら舞うのを時々見かける。
「誰かにうつさないために」
迷惑をかけたくないという人は、結局迷惑をかけられたくないと思ってる人で、
傷つけたくない、というのは、傷つけられたくないと同義語だ。
それは思いやりじゃなくてただの自己防衛なんじゃないの、と思うけど、
そのようなしらじらしくも美しいことが望みだとしたら、いちばん簡単なのはなるべく人と関わらないということだから、
いまの世の中の在り方がそれほど苦にならない人は意外とたくさんいるのかもしれない。
大人も友だちもマスクの顔しか知らず、寄るな触るな喋るな歌うなひとりずつ黙って食べろと育てられた子どもが大きくなったら、自然とそっち方向の社会になるのかもしれない。
SFかよ! おれはやだよそんなの!
神さまに試されてるような気がしながらうじうじぐるぐる考えていたら、
神さまは次の手を打って、海の向こうでは戦争が始まった。
震災、疫病、戦争。21世紀はまだ20年ちょいなのに、大盛特盛全部乗せ。
学ばない。くり返す。だから人間が好き、ではあるけど。
結局オリンピックもコロナのダシにしかならなかった。
ついにYahoo!トップから「コロナ」の文字を追い出したのは、戦争だった。
平和ってなんだ? 希望ってなんだ? 命ってなんだ?
ウクライナでは18歳から60歳までの男子、出国禁止。国民総動員令だそうな。
歴史も立地も、それゆえの腹の括り方も違う。
「身捨つるほどの祖国」があるのかもしれない、とはいえ、胸が詰まる。
ウチの息子は19歳だ。
お父さんが生きてたら、酒飲んでああでもないこうでもない話したかなあ。
いま、こうやってうだうだ嘆くしかできない私を見て、なんて言うかな。
思い上がるな、って叱られそうだ。
最後の晩餐の写真を久しぶりに見て思い出した。
あの夜、ごはんのあと、父をお風呂に入れたんだった。
母と私しかいなかったから、私が肩を貸して、というかほとんどひっ抱えるみたいにして湯船に入れて、ほとんど担ぐみたいにして湯船から出して。
火事場の馬鹿力だったなー
きれいごとじゃない尊さと厳しさがあった。
ささやかでも生きることと死ぬことがあった。
5年前。戻れるなら、あの夜がいい。