29周年の春。「行くよ」「見るよ」それぞれの選択に感謝します。
2020年の秋、初めて自力で配信ライブやった会場が、O-SITEから再出発したばかりだったminthall。
慣れないことだらけで、出だし間違えて無料配信しちゃったり、
音と画像がずれちゃうの、どうしたらいいのかなあってみんなで悩んだり。
あれから1年半。
会場もウチの映像班もあれこれ経験しながら、なんとかトラブルなく本番終えられるようになったなあと、それはそれで感慨深く。
2月の無観客を経て、4月のワンマンは基本有観客と決めていたので、配信についてはいろいろ考えましたが、
これもまた道のりのさなかで刻むべきかたちと思い、ハイブリッドでの開催となりました。
疫病騒動にやられっぱなしは悔しいから、いっこくらい取り返してやる、とも思いつつ。
楽しんでもらえていたらいいな、と、心から。
配信のアーカイブは5/7(土)までです。
ずっと前から、ライブは会場に足を運んだ人のもの、と公言してきたし、
いまもその気持ちに変わりはないです。
時代は少しずつ変わっても、たぶん何もなければ私が歌っている間くらいはそれで行けたと思う。
でも想像したこともなかったこの2年で、もしかしたらいずれ、と思っていたことに手を付けざるを得ない状況になり。
そこに居合わせたことも、運命、みたいなものかもしれない。
すこし前倒しの未来を生きることになった、という感じかな。
4/1にやった収録映像の無料配信を、お客さんのひとりとして見たことも大きかった。
ああ、こういうふうに見えるんだ、これは新しいかたちだ、と、納得できたので。
これは淘汰だ、と思ったあの春から2年。
失ってみて初めてわかる、と、よく言うけど、わかったのは「やっぱ必要」だけじゃなくその逆もある、という厳しさを思い知った気がするコロナ禍の日々。
私にとっては、それでも歌うのか、ということであり、
自分の仕事をかつてないほど信じながら、かつてないほど疑い続けた日々でした。
だから、当たり前が当たり前でなくなるという経験の果てに、再びお客さんの前で歌えたことは、ほんとうに素晴らしいことでした。
失って、それでもなおそれぞれのかたちで取り戻したいと思ってくれたあなたの存在が、私が私でいる理由です。
より強く、より深く、そのかけがえのなさを痛感しています。
画面越しにもきっと伝わったと思う。
でもやっぱり、同じ空間を共有してくれた人たちは、感じてくれたんじゃないかな。
なぜそうでなければダメなのか、ということ。
肩ひもずり落ち事件(笑)も、イントロクラッシュで立ち直れなかったあの歌も、
MCというより脈絡なしの世間話になってしまったしゃべり過ぎも、結果久々の3時間超えも、
ほんとうにすいません、でも全部「ライブ」でした。
本番前メイクしながら、いけね、マニキュア塗ってないと気づき、
あわてて塗ろうとしたら手ががたがた震えてはみ出しまくりで大変なことになった時、
ああ、これからライブなんだ、お客さんがそこで待ってるんだ、って、心底怖くて、うれしかった。
息子が小学生でサッカーやってた時、試合のたびに子供ならではの後先見ずっぷり、清々しいまでの宵越しの金は持たない的勢いに、いつも胸打たれてました。
昨日も明日もない、私も明日なき暴走でありたいと思いつつ、もう子どもじゃないからなかなかそうもいかないけど、
次の曲「夜間飛行」だからここはちょっとセーブして、とか、
さらにそのあと「感傷」だから無理せずに、とか、
そんなことできないわけで(笑)
いつまでこんなセットリスト組めるかな、と思わず言葉がこぼれましたけど、
1曲1曲、「もう次の歌うたえなくなってもいいや!」って感じで、
生き惜しむことなく、歌えるとこまで、と思っています。
揺れる世界。
何の力もない音楽家の端くれとして、
もし必要だというなら、プーチンさんのためにも、ゼレンスキーさんのためにも心をこめて「ひとり」を歌える。
それが誇り。そのように思える歌があることが誇りです。
で、来春は30周年ですってよ。
願わくば全員素顔で、思わず笑ったり、泣いたり、声が出たり、歌ったりできますように。
2022年4月23日、あなたがいてくれてよかった。
いままでやらかしたこと、この日やらかしたこと、これからやらかすこと、
全部にとりあえずカンパイです。