都内実家ひとり暮らしの母84歳がちいさい手術をすることになり、
9月に入ってから若干バタバタしてました。
病気ではなく命に別状ない外科方面で、検査入院一泊、手術用入院四泊五日、
先週木曜に無事退院したので、私はひとまずいいビール飲んじゃったという次第。
ありがたいことに歳の割には丈夫なばあさんで、
普段は近所のかかりつけに自力でちょこちょこ行って済ませてたんだけど、
今回は初手術ということでさすがに不安がって、診察の付き添い、入退院の送迎など、
ちょっとムスメらしいことさせてもらいました。
ダンナが車出してくれて感謝。
思えば結局ノー免許で終わりそうな我が人生。
息子が赤ん坊で、自分とダンナの実家に預けて回ってた頃、
あー免許欲しい!って一瞬本気で教習所考えたけど、
考えてるうちにすぐ子どもはおっきくなっちゃってそれっきり忘れてた。
そうか、次は親が歳取ってくると欲しくなるんだな、免許って。
ちゃんとした病院は、5年前父が亡くなった時以来。
実家に程近い、いちおう地域の基幹病院なので、救急あり、新型コロナ対応もしてるらしい。
さぞかしにぎわってるかと思いきや、待合スペースの閑散っぷりにちょっとびっくり。
いわゆる、受診控え、というやつなのかしら。
長椅子、ひとつおきに×テープ貼ってあったけど、そもそもほとんど空いてたし。
デビューするずっと前、はたちくらいの時かな、歯医者さんでアルバイトしてたことがある。
受付して、カルテ準備したり、保険証を確認したり、歯に詰めるセメント練ったり、印象材で取った型に石膏を流したり。
もう30年以上前だけど、保険のこととか結構覚えてる。
あの頃、国民健康保険は本人も家族もいまと同じ3割負担だったけど、社会保険の本人は1割負担だった。
そして高齢者。たぶん当時は、高齢者、なんて丁寧な言葉はなくて、老人なんとかだったような。
カルテの欄外に、老、の字を丸で囲んで書いてた。
70歳からだったかな、マル老の人は、月アタマに800円払うと、あとは食べ放題、違う、かかり放題だった。
するとどういうことになるか。そう、毎日来ちゃう人がたくさん現れる、ということになる。
いまどき風に言えば、モラルハザードというやつ。
ましてや命に別状ない歯医者、高齢者だから大概義歯、義歯は時々調整が必要になるけど、「あそこが痛い」「ここがちょっと当たる」というわけで、
しょっちゅうやってくるおじいさんおばあさんで待合室はさながらサロンとなり、
近所の顔見知り同士おしゃべりに花が咲き、医者もわかってるから、ちょちょいと調整してしっかり点数取って帰す。毎日そのくり返し。
あの頃は特に何も思わず、今日も来たよ〇〇さんw、って感じだった。
それはそれで、いい時代だったんだろうなと思う。
800円食べ放題はいつ終わったんだろう。
社会保険の本人も、もうとっくに3割負担になってるし。
10月から基準が変わって、75歳以上で1割の人の中から2割負担になる人が出てくることになる。
国民皆保険、日本では医療がカジュアルであることが当たり前だったけれど、
それは脆弱さと紙一重だったことを思い知らされたこの2年あまり。
自己負担が増えることで、よく考えてから病院に行こう、ってなるのはいいことだ。
お前もいつか歳を取るんだぞ、って言われそうだけど、もうこんなに子どもが減っちゃって、
私が高齢者と呼ばれる歳になる頃には、社会保障費を稼いでくれる若い子が足りなくなるのは目に見えてる。
いつまでも景気良く水を出しっぱなしにしておくわけにはいかなくて、閉められる蛇口は閉めないといけないんだろう。
手厚いのはありがたい。必要な人にはちゃんと届いてほしい。でも、過剰になれば仕組み自体がゆがむ。
コロナ騒動は大事なものをたくさん奪っていったけど、ついでに大事なことをたくさん突きつけていったようにも思う。
それはほんとうに必要か。それはほんとうに大切か。そして皮肉なことだけど「死なない」だけでできてる人生はほんとうに幸せか。
次は○番、次は○番、窓口から窓口へ母と行ったり来たりながら、
久しぶりの病院でそんなことつらつら考えたのでした。
それにしても、面会禁止、病室に行けないのは参った。
しばらく前に妹がめんどくさがるのを説き伏せてスマホ持たせてLINEできるようにしてあったから、
連絡も愚痴も報告も叱咤激励もLINEが飛び交って、なんとか終了できたけど、
やっぱりお部屋まで行っていろいろ世話してやりたかったし、手術が終わったら顔見に行きたかったし。
病状によっては付き添ったり面会したりもあるのかなあ。
なかったらホントにせつないなあ。
病院の廊下にある、どなたでもどうぞの測定器で。
昔からだいたいこんな感じ。最近は上は100くらいあるんだけどな。
はたちくらいの時、初めての健康診断で、初めて自分が血圧低いって知って、
医者が「具合悪くない?」って聞いてきたので、「別に」って言ったら、
「生活に支障がなければ病気じゃないから」って言われて納得。
放置のまま、今日も元気です。
数字だけじゃ測れないものもあるよね、カラダワンダーランド。
同じ状況で、ダメな人もいるし、なんともない人もいる。
多様性って言いたがる人たくさんいるんだから、体に関してももうちょっと個体差を信じていいと思うけどな。
大往生にせよ、不慮にせよ、いつか必ず死ぬんだし。