今日はすこしだけあたたかかったけど、まだ、蕾は固く。
甲子園では昨日から春のセンバツ。
選手宣誓は、宮城・石巻工キャプテン阿部くん。
「答えのない悲しみを受け入れることは苦しくてつらいことです」
いいこと言うなあ、なかなか言えることじゃないなあ、と思いつつ。
あたしがコーコーセーの時なんて、
尾崎豊とか聴いて、
答えを探しまくってた。
答えのない悲しみなんてあるもんか、って、
あちこち引っ掻き回して、ひっくり返して、
粋がって、反発して、
真実、とか、自由、とか、口の中で転がしながら、
絶対どっかに答えがあるはずだって鼻の穴をふくらませてた。
バカで、愚かで、浅はかで、
でも、そういう気持ちが、エンジンだった。
多くの悲しみに答えなどなく、
答えを見つけることがすべてではないと私が知ったのは、
たぶん、うんとあとになってからだ。
呑気だった、あの頃、あたしも、時代も、と、しみじみ思う。
いいのに、と思った。
ボールが転がってる間にホームベースにたどり着いたら1点で、
送球が早ければアウトで、
そんなふうにシンプルに答えがあるって、
コーコーセーの頃なんて、信じて、言い張っていいのに、と思った。
だから、
阿部くんの宣誓は大人としてとても感動したんだけど、
なんだか、ちょっと痛ましかった。
大きな悲しみは、否応なくひとを大人にしてしまう。
あれから1年経って、
ああ、私たちはなんて大きな悲しみを経験したんだろう、と、
あらためて、思った。
我が家の息子は今日修了式で3年生おしまい。
シビレる通信簿に、大説教大会(笑)
叱られると黙り込むとこ、
何か言えと言われるとますます黙り込むとこ、
ああ、あたしにそっくりだ、と変なとこで感銘を受ける。
たぶんろくすっぽ話を聞いてないとこも、
聞いてもすぐ忘れるとこも似ていると思われ。
子どもは、ある意味、自分への答え、なのかもな。