2017年九月場所、4日目。
4横綱のうち3人が休場で、白鵬の土俵入り見たかったのになあ、とか思ったんだけど、
結果的にはここで見ておいてよかったんだな。
白鵬みたいに盤石じゃなかったけど、
速さと巧さのある横綱だった。
日馬富士関、おつかれさまでした。
去年、若いバドミントンのトップ選手が博打にハマったことがバレて、
選手生命を失う勢いで叩かれた時、藤島大さんはNumberのコラムに書いた。
「違法は違法。ただし「社会的制裁」とのバランスについては考えたい」。
「愚行」と「悪徳」を一緒くたにせず、
しかるべきペナルティののち、更生のチャンスを、と藤島さんは説いた。
いろんな意見があっていい。
でも私は、やっぱり、とても。残念で、
どんないきさつにせよ、道を断たれた元横綱の無念さを思わずにはいられない。
その社会的制裁は、ジャスト(正義)ではあったけれど、
フェア(公正)だっただろうかと、考えずにいられない。
自分だったら、いまどんな気持ちだろう。
自業自得、と突き放せるほど、私は立派じゃないよ。
暴力を肯定しない。
でも、暴力ってなんだろう。
「正しさ」の名の下に横綱を追いつめて叩きのめしたのも、
同じものなんじゃないか。
殴らなかった、というだけで。
賢い友人たちは、きちんと黙っていて安心する。
私は愚かなので、つい言葉にしてしまう。
白か黒、勝ちか負け。
人生がそんなに簡単でたまるかよ、と歌い続けてきたから。
こうやって切り捨てていったら、
やがて一点の曇りもない善人だけが残って、
素晴らしい世の中になるんだろうか。
みんな、そういうのを望んでいるんだろうか。
グッドラック。ひとつだけ確かなのは、
そういう世の中には音楽なんて必要ないってことだ。