やりたいことでもなんでもなかったのに、
レコーディング出来ないよりはまし、と妥協してアルバムを作ったことがあった。
もう20年近く前のことなのに、いまでも時々思い出す。
それは音楽の問題じゃなくて、自分の気持ちの問題で、
「生きる」みたいなこと歌ってきたのに、
生き方を曲げてしまった気がして、なんだか情けなくて、恥ずかしくて、
「嫌だ」とちゃぶ台を返せなかった自分がいまでも歯がゆい。
サッカー本田圭佑選手のドキュメンタリー番組見ながら、
私はなんとなくそんなこと思い出していたわけで。
ああ、この人はものすごくサッカーが好きで、
ものすごくワールドカップに出たいんだなあと思った。
でも、大事なのはサッカーでもワールドカップでもなくて、
それらを通じて自分を生きる、ということなんだろうなあとも思った。
自分に対して落とし前をつけないと気が済まない人なのだ、きっと。
31歳。あの時の私も、ちょうどそれくらいの歳だった。
ま、私の話はさておき、
こういう選手がいてもいいんじゃない?くらいの感じだと思うんだけど、
やっぱり世間はビッグマウスには冷淡なのかしら。
そんなに目くじら立てるほどのことじゃないと思うけど。
曲げずに行けるなら、行ってごらん。
答えは何十年後かに、出るかもよ。
正しいか正しくないか、より、
恥ずかしいか恥ずかしくないか、で物事を決めるって、
私は素敵なことだと思うよ。
感傷的ウォッチャーとしては、
これでやっとワールドカップを見る動機が出来たわ、と思う次第ですが、
私、サッカーに関してはど素人ですので、念のため(気分は太字)
と明記しないとものを言いづらい、というのがめんどくさい。
「監督には確固たるやりたいサッカーのイメージがあった。
でも、日本代表が全くそれを実現できていない現実があった」
という発言を、やっぱ現場は正直だなあと思ったり、
「プロフェッショナルとは?」
「ん、ん、、ケイスケ・ホンダ(笑)」
いいぢゃないか、いいぢゃないか、と笑えるのも、
ど素人だからかもしれないけどね。
さ、今日ものんきに、MLBとお相撲とプロ野球とテニスを見ようと思います。