西原理恵子さんの「最後の講義」。
メッセージはとてもシンプルで、
「人生の舵取りを人任せにしてはいけないよ」ということで、
これは男も女もないと思うけど、
女の人はそのへん男に左右されることが多いから、
「我慢しないために手に職持ってがっちり稼ぎなさいよ、
立ち去る自由を持ちなさいよ」と説くわけで、
これから始まる若いおねえさんたちにはわかりづらいかもだけど、
すでに始めて久しい身としては、
ぎくっ、どきっ、ぐさっ、的にすとんと胸に落ちる。
自由は勝ち取るもの、とかよく言うけど、
実は買い取るもの、であったりもする。
アンジェリーナ・ジョリーだったら、
ブラッド・ピットだって捨てられちゃうのだ。
それは理想。でもそんなふうに生きられたらいいなと、やっぱり思うけど。
若い頃、似たようなこと考えてたなあと思う。
デビューして、バンバン売れて、親に家を買ってあげたり、
妹に車買ってあげたり(売れたらジャグワー買ってね、よしわかった、と約束した覚えがある)、
なんなら2,3人養って、みたいなこと思い描いてた。
自分で、音楽で稼いで、みんなを食わせる、っていうのが夢だったなあと、
久しぶりに思い出したりした。
西原さんのいいとこは、男なんて、というトーンがないとこ。
この人はたぶん男の人も大好きで、
さんざん手を焼かされた挙句死んじゃったダンナさんのことも、
きっと死ぬほど好きだったんだと思う。
だから、わかり合いましょう的なことも言わないけど、
男なんてあてにしないでひとりで、みたいなことも言わない。
手に職持ってがっちり稼いで、というのは、
立ち去る自由のためでもあるけど、逆に言えば、
多少ダメ男でも受け止める自由のためでもある。
そして、子どもはしっかり羽の下で守る。
甲斐性と根性。それを女が持ってたっていいじゃない、
という痛快さが好きだ。
美大で、デッサンが300人中300番。
でもだからこそ出来ること、という話にひそかに共感する。
私のピアノも歌も、出るとこ出たら間違いなく300人中300番。
でもだからこそここまで来ちゃったとも思う。
デビューした頃、ある評論家の人に、
「あたしはあたし」って僕に堂々と言い放ったのは、
あなたと西原理恵子だけですよ、って言われたことがある。
私は西原さんみたいには生きられなかった。
でも、あたしはあたし。
甲斐性はないけど、根性はまだ残ってる(と思う)。
300人中300番の弾き語り。
ふん、かまうもんか。私の歌の舵は私が取る。
気がつけば9月。25周年秋の陣が、もうすぐそこに。