久しぶりに個人的岡崎京子ブームが来て、
あれこれ引っ張り出して読み耽ってる。
答えが、いっぱい詰まってた。
若い頃読んだとき、
わかった気がしてたけど、ぜんぜんわかってなかった、あたし。
もうちょっと早くわかりたかったなー、と、ちょっとため息つきつつ。
家族が寝静まるのを待ってると、深夜になる。
時々だけど、考えごととか、ピアノに向かうとか、
書き物とか、絵を描くとか、
やっぱりひとりがよくて、やっぱり夜がよくて、
ちびちび飲みながら、雑用を片付けたりしながら、
ずるずる起きてる。
やがて家の中が静かになって、
嫁でもない、母でもない、
単体の自分との束の間の逢瀬にカンパイする。
この背徳感がたまらないわけで。
私は欲張りなので、時々自分を独り占めしたくなるのかもしれない。
胸に詰まったあることないこと、妄想やら願望やら欲望やら、
めいっぱいの不安もネガティブも怒りも悪態も、もろとも、独り占めして、
そこから雫みたいにこぼれたものが、
時々歌になったり、文章になったり、イラストになったり。
でも欲張りだからそのうちやっぱりひとりじゃつまらなくなって、
振り向いてー、気づいてー、集まってー、わかってー、
と始まる。
めんどくさいやつだなあ。
あの頃いつも夜更かしだったのは、今日をあきらめきれなかったから、と、
去年の春25周年の小冊子コメントに元チーフマネの美希さんが書いてくれたけど、
ああそうだなあって思う。
今日が終わるのが惜しくて、
それは大概、いろんなことうまくいかないまま今日が終わる悔しさだったけど、
もう一杯、あと一杯だけ、って、いつも悪あがきしてた。
そして、そんなふうに年がら年中呑んだくれながら、
その果ての夜明けがあんなに好きだったのは、
誰よりも早く明日に手が届いたような気持ちになれたから。
青がだんだん薄まっていく静まり返った夜と朝の境目で、
二日酔い決定の千鳥足花丸ヨッパライダーは、ふらふらと家を目指しながら、
道端のゴミより価値がないくせに、気分は一等賞で、
永遠みたいにひとりきりで、
世界すら独り占めしてるような気持ちになってた。
岡崎京子さん、いまも元気で、いま、を描いて欲しかったな。
歳を重ねていくこととか、いろんなものがこぼれ落ちていくこととか、
この、窮屈で、清潔ぶって、正義ぶってる時代とか、
岡崎さんだったら、どんなふうに描くだろう。
雨と思いきや、ちゃっかり晴れた夜空のスーパームーンを眺めながら、
朝までどころか、もう日付が変わる前に眠くなっちゃったりするけど、
私の中のろくでもない酔っ払いDNAは、
今も時折夜明けを探しています。