2月22日。222。猫の日。覚えやすい。忘れない。
父の命日。もう2年かあ。
母と妹と、お墓参りに行ってきた。
去年は息子が高校受験真っ最中で、合格祈願したっけ。
小学校からやってたサッカーをきっぱりやめて、ハンドボール部に入部、
夏には念願のエレキギターも手に入れて、
コーコーセーライフ、超楽しそうよ、って、報告。
まあいちおうご利益あったってことで。
父は最後、自由にものが食べられなくなっちゃったので、
残ったもんは「おとうさんの分も食べないと!」ということで、
お墓参りのあとは女3人でわいわいと盛大にランチ。
煮詰まったりぶつかったりした時、
おとうさんだったらなんて言うかなあ、は、いまでも時々思うけど、
そもそも、どんなこと考えてたのかなあ、とか、いまさら思ったりする。
ひとは、自分しか知らない気持ちをどれくらいの量抱えて死ぬんだろう。
多めの人も少なめの人もきっといるだろう。
私は自分のこと話すの得意じゃないから、多めかも。
もし私がいま突然死んじゃったら(縁起でもないけど)、
誰にも知られずに一緒に死んじゃう気持ちがたくさんあるなあ、と思ったら、
それはちょっと淋しい、というか、悔しいから、
なるべく誰かに話そう、って思うけど、なかなか。
−− 感情をぶつけられなくて 抱え込むのは性分で
という歌詞は嘘じゃないのだ。
愚痴とか泣き言とかぶわーっと吐き出したら楽になるんだろうけど、
私がそういうこと苦手なのは、
言葉にしてぶわーっと吐き出したらほんとうのことになっちゃう気がするからで、
要するに臆病なわけで。
楽しい話や馬鹿話は得意なんだけどな。
どっかで向き合わなきゃ行けないんだろうな、
逃げてばっかじゃダメなんだろうな、
おとうさんだったら、なんて言うかなあ、
と、
ランチは中華だったから、ビールのあと紹興酒を飲みながらぐるぐる考えた、
あれから2年、のあたたかい午後でした。
ほんとうのことって、なんだろね。