正門から校舎へ続く道。
この枯れ木が桜満開だった春から3年。
昨日、息子、高校の卒業式。
まじで!? と一夜明けても突っ込みたくなる。
中高3年ずつはホントに早かった。駆け抜けた。
思えば1年前の2020年3月1日はやっぱり卒業式で、
翌3月2日から期末テスト中止で一斉休校になだれ込んだわけで。
あれから1年っていうのがまず早すぎて信じられない。
早起きして支度したはずなのに、気づけばわりと余裕無しの時間。
理由はふたつ。
1.つい洗濯を欲張った(だって翌日は雨予報だったんだもん)
2.前日に着るもの決めてたのに朝になってちゃぶ台返した(だって急に気に入らなくなったんだもん)
急げー、と寝癖を直しながら思い出したけど、
中学校の卒業式も遅れそうになったんだった。
あの時は雨で、よれよれになって体育館に着いた時、
もう入口の手前に卒業生が整列してたっけ。
急げー、と家を出て、上履き忘れて振り出しに戻るおまけはついたものの、
無事時間前に到着。
保護者は1名のみ参加で、教室でオンライン観戦という形式。
ま、大画面だし、もともとスピーカーもBOSEあって音もいいし、
卒業証書授与は寄りカメラでひとりずつちゃんと顔が見えるし、
なるほど、こういうのもありね、と思いつつ。
入場は全員マスクで残念だったけど、証書授与はマスクなし。
緊張して怒った顔になっちゃう子、
校長先生に「おめでとう」って言われてにこにこしちゃう子。
表情が伝えるものの多さ、大切さに胸打たれつつ。
やっぱ生で見たいなー、
でも生だと見えないとこも見えるからオンラインもいいなー。
あ、これはもしかしてライブを配信で見る人たちの気持ちと一緒かな、と思ったり。
我慢ばっかの1年。
センター試験から共通テストに変わった初年度、
予想に反して平均点が下がらなくて、今年の高三がんばった、とニュースで見たけど、
大会もコンクールも学校行事も軒並み中止で、
あきらめて勉強するしかなかったからだよね、と思う。
謝恩会は中止。
でも式のあと子どもたちは教室で学校が用意してくれた軽食を食べながら、
先生たちが作った思い出動画を見て過ごし、
解散のあとも団子になって友だちと喋ったり写真撮り合って別れを惜しみ、
おかあちゃんたちはランチに繰り出して延々と話尽きず。
私は夕方近くなって帰宅。
さっぱり帰ってこない息子にLINEしたら「7時半に帰る」。
帰ってきて、何してたのと聞いたら「友だちとカラオケ」。
親子共々卒業式満喫、でありました。
彼らが動き回ることで、回り回ってウイルスを誰かにうつす「かも」しれず、
その中のリスクの高い誰かがもしかしたら死ぬ「かも」しれず、ということと、
彼らがこの1年で失ったものと。
この天秤はどちらに傾くのか。
ずっと考え続けている。
そもそもこの天秤がフェアなのかどうかも、
なんだかもう私にはよくわからない。
配信ライブにアーカイブがあるように、
卒業式ライブもアーカイブがあるわけで、
夕方から学校が限定配信してくれて、
夕飯食べながらあらためて卒業式を家族で見た。
なんともシュール。でも楽しみつつ。
他の学校のことはあまり知らないけど、
息子の高校は精一杯やってくれたかなと思う。
私立だけどほどほどにゆるくて、
何より6月の学校再開以来、関係者でひとり陽性が出て、消毒で1日休みになった以外、
いちども休みなく学校を開けてくれた。
先生方のご苦労に感謝。
ひとり息子、義務教育9年間一本勝負だったから、
私も目いっぱい楽しむぜ、と、
小学校中学校はPTAもサッカーも行事も、がっつり関わって過ごした。
高校の3年間はすっぱり手を離して、ひたすら放置。
学校に行ったのはほんの数回。楽ちんだったな。
自分で決めてハンドボールを始めて、部長にまでなって、
学園祭でなにやら演奏したり歌ったりして、
先生と相談して志望校を決めて、
結局塾にも行かず学校と自力で受験も乗り切って、もうすぐ進路が決まる。
おととし、高二の12月。
結果的に最後の公式戦になったハンドボールの大会。
応援に行ったけど惜しくも勝てず。
帰り道「おつかれ」とLINEしたら、
「来てくれてありがとう。勝てなくて申し訳ない」と返信が来て、
なんかうろたえてしまったことを覚えてる。
手を離すと、いつのまにか大人になっちゃうんだなあって。
校長先生の祝辞の一節。
「今日家に帰ったら、おうちのひとに、おかげさまで無事に高校を卒業できました、いままでありがとうございました、と、自分の口で言ってください。心の中だけではダメです。ちゃんと口に出して感謝を伝えてください。身近な人にお礼が言えれば、これから外の世界に出てもちゃんとお礼を言える人になります」
校長センセ、ウチの息子はもうとっくに感謝を伝えられる男ですよ(LINEだけど)、って思いながら、
帰って来て律儀に挨拶してくれるのを聞いてた。
こちらこそ、ありがとう。
この困難な時期に18歳であるということ。
それはきみの運の強さに他ならない、ぜったい。
自分を信じられる人は、同じくらい自分を疑うことができる。
振れ幅の大きな心で、
見えるものより、見えないものを思うひとであれ。
寛大に、でも自由を明け渡すことなかれ。
親業節目、いまこそ別れ目、いざ、さらば。
いまどき卒業式のエンディングは「仰げば尊し」じゃなくて、リトグリとMISIAだったけどね。