かねへんにつつむで、かんな。
ウチのダンナはデザインの仕事をしているが、
ものを作るのが好きで、木工は趣味のひとつ。
我が家のテラスには、
使途不明の木材や板きれが常時ごろごろしている。
注文していた新しい鉋が、
今日、郡山の道具屋さんから届いて大喜びのダンナ。
素人なのでもちろんそんな高いお品ではないんだけど、
今まで使ってたのに比べて、全然おっきくて、ずっしりと重く、
おおーっまっすぐ削れるーとか、おおーっなめらかだーっとか言いながら、
夢中で木を削ってた。
ダンナ曰く、
鉋掛けはとにかく平らにまっすぐに削るということに尽きるので、
やってると無心になれる、雑念を払える、とのこと。
そういえば、しばらくやってなかった材木いじり、
震災の後、思い出したように始めたんだった。
思いがけずリフレッシュになったらしい。
いつかあれを作ろう、という見えない目標を持って、
目の前の地味な技術を磨くことにひたすら没頭する。
考えてみたら、これは今とても贅沢なことかもね。
震災関係なく、その前からもう、
待てない時代になってた。
すぐに答えを欲しがる時代になってた。
震災後、それはさらに加速している。
見えないものに、思い上がりたくないと、あらためて思う。
なので、
ひたすら鉋掛けに熱中するダンナに、
「それは一体何を作っておるのか」と、
わあわあ言うのはなるべくやめよう、というわけで、
明日からも我が家のテラスには、
なめらかに美しく削られた使途不明の木材が、
どんどん増えて行くことと思われ(笑)